訳の分からないニュース
日本の経済人は、この程度のニュースを見て「スゴイ」と驚いたり、「へー」と納得したりするのだろうか。もしそうであれば、このこと自体、そして記事に書かれた内容は、日本の経済人の大半がビジネスプロセスを素早く把握する能力に欠けている事を示しているように思える。
問題のニュースは、日経のWeb版、IT+PLUSに掲載されていた有賀 貞一 (あるが ていいち) による8月26日11:16の記事『「エコポイント」の情報システムがわずか3週間で完成した理由』である。
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この記事を乱暴に要約すると『インターネットを使ったエコポイント受付システムを7月1日から稼動すべく5月下旬に複数のITベンダーに打診したが、構築に数百億以上かかると言われたり、始めからさじを投げて相手にしなかったりで、結局米セールスフォース・ドットコムの基盤サービス「Force.com」が請け、見事に3週間で完成させた。いままでバズワードとして喧伝される事の多かったクラウドコンピューティングによる、具体的にして実効性のある話題であり、好ましい。』としている。
私には『クラウドでなければできなかった』と言っているように聞こえる。だが、それは少し違うと思う。
記事の内容をそのまま信用するなら、3週間で完成された「インターネットを使ったエコポイント受付システム」は、以下に列挙した機能の、単なる申請書作成システムでしかない。こう言い切る理由は、記事によれば、このシステムで作成された申請書のみならず、所定のフォーム(用紙)に手書きした申請書も同列に受け付けられる、とあるからだ。
- 利用者がウェブサイトのフォームに氏名・住所などと、購入した商品の情報、獲得したエコポイントを入力する。
- エコポイントで交換を希望する商品のコードを入力すると、「エコポイント登録・交換申請書」が表示される。
- 表示された申請書を印刷する。
この後、印刷された申請書を保証書のコピーや領収書と一緒にエコポイント事務局に郵送する。申請書はこのシステムで印刷したものでなくても、家電量販店や郵便局で配布されているフォームに手書きしたものでもかまわないらしい。
記事では、上に列挙した最初の機能で私が「エコポイントを入力する」と書いた部分は、「・・・・登録する」となっていた。この記事の表現だと、データベースか何かに登録しておいて、後の照合作業など、事務局側のシステムで利用されるような印象があるが、手書き申請書も許容するのであれば、事務局側のシステムは存在しない(少なくとも有賀の記事では触れられていない)か、存在してもここで「登録」されたエコポイントは参照していない可能性が高い。なぜなら、仮に参照するシステムを作ったとしても、手書き申請書を許容することで、事務局側のワークフローが複雑化するデメリットを上回るほどのメリットが期待できないからだ。従って、申請予想数が2千万件だろうと、2億件だろうと、データベースはそもそも必要ないのだから、心配すべきはピークパフォーマンスのみだ。
私が想定している程度の「エコポイント受付システム」であれば、適切な開発フレームワークと能力のある技術者を選べば、3日程度でプロトタイプできると思う。システムの稼動期間が限られている分、後々の拡張性や保守性を気にする必要がなく、開発部分についてはかなり楽な案件と言える。むしろ問題はインフラとしてのキャパシティがタイムリーに準備できることであり、この意味ではクラウドコンピューティングのメリットが大きかったかもしれないが、スペアキャパシティと柔軟な拡張性さえあれば従来型データセンターでもかまわなかったはずだ。
ここで浮き彫りになったのは、日本型ITベンダーで案件を最初に受け付ける営業サイドに問題がある、と言うことではないか。問題点は二つあり、一つは案件の全貌を大掴みする能力に欠けている事、もう一つは未確定な要件を自分たちが主導してまとめて行こうとする発想も実行力も無い事だと思う。だから怖くて請け切れないのだ。
上記問題点の背景に、日本の大手ITベンダーは案件の商社でしかなく、実質的開発・構築作業は下請に丸投げてしまうだけなので、営業サイドに本来要求される超上流工程の能力もセンスも備わっていない事を指摘できると思う。また、同じ事が同一社内の営業部隊と開発・構築部隊との関係においても存在する場合が多いと思う。
もう一つ大きな問題だと思うのは、実際には手書きの申請書も許容せざるを得ない事情があるにもかかわらず「申請件数は2000万件にもなると予測され、事務手続きを円滑に処理するにはシステムに頼らざるを得ない。」と記事に書いてある事だ。
想定される利用者の事を考えると、インターネット経由の申請しか認めないのは無理であり、手書きの申請書が残るのは当然である。このことにより事務局のワークフローはかなりの部分、恐らくほとんど全てを手作業に頼らざるを得ないだろう。申請処理費用予算57億4千万は、この事務処理人件費が大半を占めるのではないだろうか。それ故、インターネットを使った受付システムの実質的な存在意義は薄く、「ITを活用していますよ」と言う行政の宣伝のためだけに開発したと考えるのが自然だ。純然たる営利的なビジネスプロセスだったら、手書き申請書に一本化すべきであり、この程度の受付システムを開発する選択肢はあり得ない。
もしかしたら、私が記事を読み間違えていて、実際のシステムの主体が申請受付~商品発送までのワークフローであるなら、それは素晴らしいと言うしかないだろうし、有賀の記事はかなり分かりにくい内容だったと言う事になるだろう。しかし仮にそうであっても、印刷した申請書を郵送する手順になっている以上、受付システムの存在意義は、手書き申請書なら全項目を事務局でインプットしなければならないのを、申請番号か何かをインプットするだけで済ませられる程度でしかない。
インターネットを使った受付システムで作成された申請書が申請全体のどの位の割合になるのか、その想定と結果を知りたいものである。
2009/8/27 追記:
実際に「エコポイント」のサイトを訪ねてみた。有賀の記事で触れられていたインターネット申請のワークフローは想定した程度のものだったが、どうやらマイページと言う、記事では触れられていないポイントを個人別に一旦貯めて置けるような仕組みもあるらしい。コレがあると無いとでは、システムの規模がかなり変わってくるが、アカウントが無いと中まで入れないので詳細は分からない。
一つ明らかな事は、インターネット申請のページでは、取得したポイントと同時に交換する商品も一度にインプットしなければならない様な説明なので、これだけを見ていたのではマイページの存在自体気づかないようなコンテンツになっていることだ。あくまで個人的意見だが、マイページは後付で造られたような印象を受ける。
見栄えはそれらしく作られているが、色々と問題がありそうだ。セキュリティ上の不備が高木浩光@自宅の日記の記事で指摘されているが、これは明らかに発注側の仕様の誤りまたは不足が原因だと思われる。受注側にも確認する責任が無いとは言わないが、最終的な仕様は発注側で決めるものだ。日本的慣行で受注側に「任せて」しまう発注者も珍しくは無いが、はっきり言ってしまうと、これではビジネスのオーナーシップを放棄した事になってしまう。今回も、受注側からドメインやSSLをどうするか、問い合わせがあっても「任せて」しまったのではないかと容易に想像できる。また出来上がったシステムが自分たちの意図したものと違うと、後から色々と修正要求を出すのもそういった発注者に多いが、そこに辿り着くまでのプロセスを考えれば当然の事だろう。
今回はプロトタイピングから入っている様なので、プロトタイプが煮詰まらないまま期日を優先してサービスインした構図がありそうだ。その根源に、寄り合い所帯である発注側の決断の遅れがありそうな気がする。
やれやれ、米セールスフォース・ドットコムだと言うからもう少しマトモかと思ったが、結局日本国内で動いていたのは日本人なので、と言うオチがあるのかもしれないし、所詮米国人はと言う所にオチるのかもしれない。今回ばかりは、日本の発注者の特性を知り抜いた国内ITベンダーのリスクヘッジ成功、と言う事なのだろう。
インターネット申請のページに「7月22日より毎日深夜3時から5時はシステムメンテナンスのためインターネット申請を停止しております。」とある。稼動開始当初不要だったものが3週間を経過してから毎日必要になる、と言うことは、色々と大人の事情がある、と言うことなのだろう。
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